つながり孤独
皆さんもニュースでご存知でしょうか。
今年年明けとともにイギリスに「孤独担当大臣」が誕生したことを。
遠い国の出来事のように感じながらも、私はなぜか「ああ、やっぱり・・・」
という気持ちが拭い去れなかったのを覚えています。
昨年イギリス政府は「孤独」に関する調査を1年間にわたり実施。
これだけSNSの普及で世界が瞬時に繋がると言っても
過言ではない時代に、実に人口6600万人のうち
900万人以上の人が「孤独」を感じ、孤立感を深めていると答えたのです。
そして、その結果を受けての英政府の素早い対応。
「孤独」という抽象的でナイーブな問題であるにもかかわらず、すぐさま取り組むイギリス政府の姿勢に驚くと同時に感動したものでした。
そして、先日NHKの番組で取り上げられていた「つながり孤独」の問題。
沢山の友達とスマホで繋がっている世代でも、職場で社会貢献を果たしている大人たちも、一人暮らしをしている多くの世代の人たちも、まだまだ遊び盛りと言えるような子供たちも、みなそれぞれに「孤独」を感じることがあると伝えていました。
元来「私たちは生まれてくるのも、亡くなるのも一人」
「孤独」と無縁でいることはそもそも無理なことと言えるのかもしれません。
また、「孤独」ととらえず「一人の自由な時間」として大切に有効に過ごすのも時として重要なこと。
同じ考えの人がいない、気の合う人がいないと考えるより、お互いをそれぞれ認め合うことが大切、その中で相性のいい人を見つけていけたら、それで十分幸せなことなのだと思います。
ただ、「孤独」を感じることが多すぎると、それは「疎外感」や「ひきこもり」に繋がり、時間が長くなるほど弊害が大きくなるのは周知の事実、最近では人の健康をむしばむのは、何より「孤独」であると医学的にも証明されています。
日本でも「単身暮らし」「引きこもり」等の問題は、かなり以前から問題となっています。政府の早急で実践的な対応も大いに期待したいところです。
一方で私たちも「孤独」というものをネガティブな言葉として捉えるのでなく、誰しも心のどこかにある共通の感情として受け入れ、時にその感情に押しつぶされそうになった時には声に出して主張し、周囲とのつながりを持つべく自ら手を差し出せる、そんな人間でありたいと思います。
相互互助の精神こそ、人の人たる所以なのですから、素直に甘えて生きる!そう考えただけで、いくらか気が軽くなるような気がするのです。