最後の夏

灼熱の夏・・・勝るとも劣らない熱闘甲子園!
この国民的夏の風物詩は、今年100回の記念大会だ。
この歴史的大舞台に勝利の女神は、粋な好カードを用意した。

史上初2度目の春夏連覇を狙う大阪桐蔭(北大阪代表)。fbb70517185225ec7e3f495ea899b71d_t.jpg
言わずもがなの野球の名門校だ。
対する決戦の相手は、秋田代表の金足農業高校。
甲子園では珍しい公立の農業高校でありながら、
予想を上回る快進撃を続け、
ついに春夏通して初の東北勢優勝を期待される。
部員は全員、県内の出身だと言う。
両校とも勝てば「初の偉業達成」が実現するというプレッシャー。

野球を愛し甲子園を目指し、青春の多くの時間を練習に明け暮れてきたであろう
球児たちの熱き想いは両校引けを取ることはないはずだ。
が、言わば野球エリート校ともいえる名門大阪桐蔭と、部活として地元に根差した
公立金足農業、くしくも全くカラーの異なる高校の対戦となったのだ。

どちらを応援するかは人それぞれ。
しかしながら立ちはだかる名門校に、部員一丸となって果敢に挑もうとする公立金足農高の野球部に古き懐かしい甲子園を思い出し、肩入れした方も多いのではないだろうか。
私もその一人である。

結果は、13対2で大阪桐蔭が圧巻の強さを見せつけた。
100回記念大会での春夏連覇は、紛れもない実力の現れだろう。
この試合を通じて、私たちは実にいろんなことをそれぞれ感じたと思う。
勝っても負けても、人を感動させるのは選手たちのそのスポーツへの姿勢なのだ。

地方大会から一人で投げ抜いてきた金足農高の吉田選手が試合中、仲間に吐いた
「もう投げられない」の初めての弱音。そして初の途中降板。
しかしながら、試合後には「悔しいままでは終われない」に変わっていた。
そう、人は辛い経験をその後、どんな風に自分の「糧」にできるか、
そのことに尽きるのだと改めて痛感させてもらった。

有難う、そして両校に心からの祝福を送りたい、それから、少しゆっくりして欲しい、
まるで身内になったかのようなこの夏・・・平成最後の夏を忘れない。

夏休み

楽しみにしていた夏休みもあっという間、
もうお仕事に復帰されている方、06c9e95bd54aa166cb7994ab10f8820b_t.jpg
もう残りあとわずかという方、いろいろですね。

お休みを前に何となく心躍るような気持ちになるのも、
お休みが終わりに近づくと何となく淋しいような気持ちになるのも、みんな一緒。
子供だけでなく、大人こそ「お休み」を楽しみに働いているのかもしれません。

私は商家育ちですので、子供のころ、サラリーマン家庭の友達が、家族揃ってまとまったお休みを過ごしているのが本当に羨ましかったのを覚えています。
数日間、家族そろって里帰りする!これは田舎の無い商人の子供にとっては憧れ、
「しばらく遊べなくなるんだなあ」というのと同時に「いいなあ」と心底思うものの、
幼心にそれを言っても仕方のないこと、親を困らせるだけというのもわかっていた
ような気がします。案外、子供もいろいろわかっているものなのです(笑)。

長じて、帰省の大変さ・迎える側の忙しさ、いろいろわかるようになったものの、
やはりこの時期「身内同士集まる」というのは、伝えたい伝統のような気がします。
日ごろ疎遠にしていて離れ離れで時間に追われる生活でも、この時ばかりは元気な姿を
見せ合い、他愛ない話に花を咲かせながら、家族・身内・友達と過ごし、
ひとりではないのだと再確認できたらと思うのです。

先日パソコンの記事で、「気の重いお盆」というのがありました。
家族で帰省しても義理の仲では気を遣うばかり、
また迎える方も寝食の用意と孫の怒涛のパワーに疲れ切る有様。
そこで、「お互い無理のないよう旅行を兼ねて旅館で楽しく過ごしては?」
との提案がなされていました。

これまで「実家」の立場で迎える側一方の私としては、
「同じ考えの人がいた!そうそう、これが一番!」少し時間を配慮して、お墓参りをみんなですればご先祖様も喜んでくださるはず、この考えに大賛成、予算・行先は無理のないよう各々調整すればいいと思うのです。

負担のかかる人の無いよう、時間のゆとりを心の優しさに変えて思いやりながら、
皆にとって穏やかな時間が流れ、そして元気になって元の生活に戻れたら!
そんな「夏休み」、大切にしていきたいものです。

心を寄せて

本日あたりから、夏休みの方も多いのではないでしょうか。
久々の長期休暇に旅行の計画を立てている方、6056046539762e8223e36d0aa73b318c_t.jpg
身内や友達に会うのを楽しみに帰省する方、
それぞれの想いで過ごされることでしょう。


私はと言いますと、この春母を亡くしましたので「新盆」ということになり、
気持ちばかりのお供養にせめて勤しむつもりです。

ところで皆さんは、「盆盆とても、今日明日ばかりなり」という詞をご存知でしょうか?
長野県松本市に伝わる女の子の夏の行事、その際に歌われる唄の出だしの部分です。
紙で作った花をかんざし代わりに、浴衣で着飾った女の子たちがほおずき提灯を下げ、
この歌を口ずさみながら町を練り歩く夏の風物詩。
「あさってはお嫁のしおれ草」と続く歌詞は、遠い昔「忍」の一文字だったであろう
「お嫁」さんの立場を連想させ、なんだかとても切なくなります。

この気持ちは、当時の奉公人にとっても同じだったかもしれませんね。
幼いうちに親元を離れ、長いこと待ちわびたお休みもたったの3日間、
楽しい時間はあという間というのは、いつの時代も同じなのですね。
それでも、例え短くても郷に返してあげようという奉公先の思いやり、
親兄弟に元気な姿を見せようという、せめてもの心遣いだったのかもしれません。

先日、私は「お施餓鬼」というお寺の行事に参加してきました。
「餓鬼」とは、生前の悪行により誰からも供養してもらえない無縁仏のこと。
「お施餓鬼」とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物など供物を施し、
自分の身内同様に供養しようと、このお盆の時期に行われる仏教の行事だそうです。
お坊様のお話に古人の優しさが伝わり、無信心の私も亡き人を家族と同じように供養する気持ちが広がってくるようでした。

いつもより、少し時間の余裕のある長いお休み、
時間の余裕は、人の心を穏やかに優しくしてくれるようです。
「心の栄養」は「穏やかな時間」なのではと感じた一日でした。


失くしてはいけないもの

もうひと月も前から、夏本番・灼熱の日本列島。
8月に入り、酷暑は勢力を増し、不要な外出は控えるようにとの注意報。
ということで、いつもよりテレビを見る時間が
増えている方も多いのではないでしょうか。

せめて爽やかな話題はないかとチャンネルを変えても、e7932b1a440983e1dc565344e1c18b25_t.jpg
放送されているのは、がっかりするようなニュースがなんと多いことか。
とりわけ、スポーツ界の不祥事と大学の体質的問題には、
信じられない思いと怒り、そしてそれを凌駕する切なさを感じます。

その道に人生の大半を捧げてきたであろう開拓者ともいうべき指導者達。
選手と多くの時間を共に過ごしながら、選手のため、その種目のため、
日々練習に励む選手の指導に取り組んできたであろうに・・・

いつから、地位や権力に溺れて失くしてしまったのでしょう。
「教育者としての倫理」「スポーツマンシップ」・・・
私たちが決して失くしてはいけないもの。
私たちが「最後の拠りどころ」としているもの。

努力している選手たちをないがしろに、主役を踏みにじるような行為が報道されるたび、やり場のない想いを感じます。
今の時代、スポーツで成功を収めることは大きなビジネスに繋がるとか。
でも、根底にあるのは「その種目が好き」という純粋な気持ち、
その気持ちを決して失くさないで欲しい、それが何より人の心を打つのだと思うのです。

「地位」が上がり、「権力」を持つと人はかくも愚かになってしまうのでしょうか。
「冷静」に、何を大切にすべきか、何を伝えるべきか、どう行動するべきか、
一連のニュースを見て、私たち自身も反省すべき時なのかもしれませんね。

「流れ」に巻き込まれて自分で考えること、大切にすべきことを見失っていないか、
私も、自分の心の声に耳を傾け考える時間を忘れないようにしていきたい、
今、つくづくそう思います。

世界に誇れるオリンピックは、純粋にスポーツを愛する気持ちからしか成し遂げられない、その想いをもう一度しっかり自覚して「TOKYO 2020」を迎えたい、そんな気持ちでいっぱいです。