心を寄せて

本日あたりから、夏休みの方も多いのではないでしょうか。
久々の長期休暇に旅行の計画を立てている方、6056046539762e8223e36d0aa73b318c_t.jpg
身内や友達に会うのを楽しみに帰省する方、
それぞれの想いで過ごされることでしょう。


私はと言いますと、この春母を亡くしましたので「新盆」ということになり、
気持ちばかりのお供養にせめて勤しむつもりです。

ところで皆さんは、「盆盆とても、今日明日ばかりなり」という詞をご存知でしょうか?
長野県松本市に伝わる女の子の夏の行事、その際に歌われる唄の出だしの部分です。
紙で作った花をかんざし代わりに、浴衣で着飾った女の子たちがほおずき提灯を下げ、
この歌を口ずさみながら町を練り歩く夏の風物詩。
「あさってはお嫁のしおれ草」と続く歌詞は、遠い昔「忍」の一文字だったであろう
「お嫁」さんの立場を連想させ、なんだかとても切なくなります。

この気持ちは、当時の奉公人にとっても同じだったかもしれませんね。
幼いうちに親元を離れ、長いこと待ちわびたお休みもたったの3日間、
楽しい時間はあという間というのは、いつの時代も同じなのですね。
それでも、例え短くても郷に返してあげようという奉公先の思いやり、
親兄弟に元気な姿を見せようという、せめてもの心遣いだったのかもしれません。

先日、私は「お施餓鬼」というお寺の行事に参加してきました。
「餓鬼」とは、生前の悪行により誰からも供養してもらえない無縁仏のこと。
「お施餓鬼」とは、そういう者たちにも食べ物や飲み物など供物を施し、
自分の身内同様に供養しようと、このお盆の時期に行われる仏教の行事だそうです。
お坊様のお話に古人の優しさが伝わり、無信心の私も亡き人を家族と同じように供養する気持ちが広がってくるようでした。

いつもより、少し時間の余裕のある長いお休み、
時間の余裕は、人の心を穏やかに優しくしてくれるようです。
「心の栄養」は「穏やかな時間」なのではと感じた一日でした。