失くしてはいけないもの

もうひと月も前から、夏本番・灼熱の日本列島。
8月に入り、酷暑は勢力を増し、不要な外出は控えるようにとの注意報。
ということで、いつもよりテレビを見る時間が
増えている方も多いのではないでしょうか。

せめて爽やかな話題はないかとチャンネルを変えても、e7932b1a440983e1dc565344e1c18b25_t.jpg
放送されているのは、がっかりするようなニュースがなんと多いことか。
とりわけ、スポーツ界の不祥事と大学の体質的問題には、
信じられない思いと怒り、そしてそれを凌駕する切なさを感じます。

その道に人生の大半を捧げてきたであろう開拓者ともいうべき指導者達。
選手と多くの時間を共に過ごしながら、選手のため、その種目のため、
日々練習に励む選手の指導に取り組んできたであろうに・・・

いつから、地位や権力に溺れて失くしてしまったのでしょう。
「教育者としての倫理」「スポーツマンシップ」・・・
私たちが決して失くしてはいけないもの。
私たちが「最後の拠りどころ」としているもの。

努力している選手たちをないがしろに、主役を踏みにじるような行為が報道されるたび、やり場のない想いを感じます。
今の時代、スポーツで成功を収めることは大きなビジネスに繋がるとか。
でも、根底にあるのは「その種目が好き」という純粋な気持ち、
その気持ちを決して失くさないで欲しい、それが何より人の心を打つのだと思うのです。

「地位」が上がり、「権力」を持つと人はかくも愚かになってしまうのでしょうか。
「冷静」に、何を大切にすべきか、何を伝えるべきか、どう行動するべきか、
一連のニュースを見て、私たち自身も反省すべき時なのかもしれませんね。

「流れ」に巻き込まれて自分で考えること、大切にすべきことを見失っていないか、
私も、自分の心の声に耳を傾け考える時間を忘れないようにしていきたい、
今、つくづくそう思います。

世界に誇れるオリンピックは、純粋にスポーツを愛する気持ちからしか成し遂げられない、その想いをもう一度しっかり自覚して「TOKYO 2020」を迎えたい、そんな気持ちでいっぱいです。

つながり孤独

皆さんもニュースでご存知でしょうか。
今年年明けとともにイギリスに「孤独担当大臣」が誕生したことを。
遠い国の出来事のように感じながらも、私はなぜか「ああ、やっぱり・・・」
という気持ちが拭い去れなかったのを覚えています。

昨年イギリス政府は「孤独」に関する調査を1年間にわたり実施。
これだけSNSの普及で世界が瞬時に繋がると言っても508f4a3d77424b22f8945ddb9486de63_t.jpg
過言ではない時代に、実に人口6600万人のうち
900万人以上の人が「孤独」を感じ、孤立感を深めていると答えたのです。
そして、その結果を受けての英政府の素早い対応。
「孤独」という抽象的でナイーブな問題であるにもかかわらず、すぐさま取り組むイギリス政府の姿勢に驚くと同時に感動したものでした。

そして、先日NHKの番組で取り上げられていた「つながり孤独」の問題。
沢山の友達とスマホで繋がっている世代でも、職場で社会貢献を果たしている大人たちも、一人暮らしをしている多くの世代の人たちも、まだまだ遊び盛りと言えるような子供たちも、みなそれぞれに「孤独」を感じることがあると伝えていました。

元来「私たちは生まれてくるのも、亡くなるのも一人」
「孤独」と無縁でいることはそもそも無理なことと言えるのかもしれません。
また、「孤独」ととらえず「一人の自由な時間」として大切に有効に過ごすのも時として重要なこと。
同じ考えの人がいない、気の合う人がいないと考えるより、お互いをそれぞれ認め合うことが大切、その中で相性のいい人を見つけていけたら、それで十分幸せなことなのだと思います。

ただ、「孤独」を感じることが多すぎると、それは「疎外感」や「ひきこもり」に繋がり、時間が長くなるほど弊害が大きくなるのは周知の事実、最近では人の健康をむしばむのは、何より「孤独」であると医学的にも証明されています。
日本でも「単身暮らし」「引きこもり」等の問題は、かなり以前から問題となっています。政府の早急で実践的な対応も大いに期待したいところです。

一方で私たちも「孤独」というものをネガティブな言葉として捉えるのでなく、誰しも心のどこかにある共通の感情として受け入れ、時にその感情に押しつぶされそうになった時には声に出して主張し、周囲とのつながりを持つべく自ら手を差し出せる、そんな人間でありたいと思います。
相互互助の精神こそ、人の人たる所以なのですから、素直に甘えて生きる!そう考えただけで、いくらか気が軽くなるような気がするのです。